龍生派のいけばな

歴代家元

四代目家元 吉村華州

四代目家元 吉村華州

龍生派の目指すいけばなにとって大切なのは
「個性の表現のためのいけばな」であるということです。
基本を押さえるための型や様式はいろいろありますが、
それらはあくまでも手段であって、
その先に一歩を踏み出すための土台のようなもの。
たとえ同じ花材を使ったとしても、
十人いたら十人の見方でまったく異なるものが生まれ、
それがその人の作風や個性になって表れていく・・・
そのようないけばなを創出することが龍生派の目的であり、
そのための活動を広めていきたいと願っています。

  1. 三代家元 吉村華泉

    𠮷村華泉が三代家元を継承したのは、
    弱冠十六歳の時のことでした。

    当時は前衛いけばな全盛の時期でしたが、
    その中で、華泉はその時手にした一本の枝、
    一輪の花が持つ表情を自らの眼で捉え、
    作品化することを提唱。
    そこで体系付けられた「植物の貌(かお)」という方法論は、
    初代以来の龍生派独自の
    植物に対する向き合い方の結晶として、
    流派の根幹をなすものとなっています。

  2. 二代家元 𠮷村華丘(かきゅう)

    昭和7年(1932年)、
    初代家元逝去をうけて二代家元に就任した𠮷村華丘。

    それまでは立華・生花のみを
    自らの流派のいけばなとしていましたが、
    新たに挿花・瓶花と呼ばれる様式を創案。
    昭和10年(1935年)には機関誌『龍生』を発行開始、
    また海外へも指導に赴くなど積極的な普及活動を行いました。

  3. 初代家元 𠮷村華芸(かうん)

    愛知県岡崎市において、
    少年期より池坊の華道を学んだ吉村卓次郎は、
    明治時代の新たな文化の中心として
    熱気を帯びていた東京へと向かいます。

    東京の池坊で活動する中で、
    当時の立華生花といったいけばなが出生を重んじるあまり、
    ともすると目の前の枝や花の姿を
    見失っていると考えた吉村卓次郎=𠮷村華芸は、
    自ら、新たに流派を興します。
    1886年、それが龍生派の誕生でした。